日本のテレビのはじまり

人類の声が初めて電波に乗ったのが、1906年、それからわずか10数年あまりで1920年に世界初のラジオ局がアメリカ・ピッツバーグにできた。受信機は、アマチュア無線家を中心に1万5,000台ほど普及したといわれ、普及の速度は非常にはやく、2年後には500万台にのぼっていた。

日本でも1925年(大正14年)3月22日午前9時30分、ラジオ放送が始まった。

関東大震災から2年、日本のラジオが東京・芝浦の東京放送局仮放送所から流れた。当時の受信契約数は約3,500.ラジオ放送は、大阪(6/1)、名古屋(7/15)でも開始された。関東大震災の直後であったため、放送により信頼できる情報の重要さは人々に理解されたが、当時の放送は出力が弱いため東京都内でないとよく聞こえなかったそうだ。

日本でのテレビジョン研究は対象の末ごろから始まっていた。高柳健次郎は1925年(大正14年)にはすでに電子式の装置を用いるテレビ研究を開始し、1926年(大正15年)、当時の技術条件、実験条件の中で送像側に機械式のニプコー円盤と光電管、受信側に電子式であるブラウン管を使った方式の装置を開発し、12月25日に「イ」の文字をはっきりとブラウン管に映し出すことに成功した。

その後、高柳の研究は1928年人物の送像のテレビ実験に成功するまでに至った。

1930年、ラジオ放送5周年記念展覧会でテレビが出品され公開実験を行った。

その後も高柳の研究は続き、1937年に当時の世界最高水準の現在のテレビに匹敵する受像機を完成させる。1939年には日本電気、東芝が初の国産受像機を完成させている。

高柳が「日本のテレビの父」と言われる人物なのである。

日本放送協会は1930年(昭和5年)6月、ラジオの放送からわずか5年後、技術研究所を設立し、テレビ放送の研究を開始した。1937年には東京五輪が開催されることが決まり、NHKがテレビによる中継放送を実施することになった。いよいよテレビ放送の実用化となる。

テレビの歴史

ここ数年でテレビは地上デジタル放送へと移行、薄型化し、3Dテレビが登場し、本格的なネット対応へと進化している。注目すべきは4K2K。水平画素数で縦4000×横2000ピクセル前後の高解像度の映像・表示技術である。フルHDの次にくる次世代ハイビジョン仕様と言われ、従来のハイビジョン映像の水平画素数が1920×1080であることを考えると、約4倍の画素数を実現することになる。

私自身も興味をそそられる4K2Kである。そこでまずは「テレビ」についてこれまでの歴史を見ていこうと思う。

1843年、静止した画面を走査によって分解して順次に送る写真伝送の原型がアレクサンダー・ベーン氏によって考案される。このとき日本は江戸時代。もちろんテレビは無かった。

1888年、自然科学者 ヘルツ氏による「電波」の発見。

1897年、映像を映し出すための「ブラウン管」が「K.F.ブラウン」氏により発明される。

しかし、この「ブラウン管」は映像を映し出すためのものではなく、電気の実験につかう波形観測用である。このときテレビはまだ世の中にはない。

1923年、テレビジョン放送として高柳健次郎氏により技術的着想「無線遠視法」が提唱される。

1925年、東京放送局(現NHK)がラジオ局を開局し放送開始。(大正14年)

1925年、ジョン・ロジー・ベアード氏は史上初めて動く物体をテレビで遠距離放送することを成功させる。

1926年、高柳健次郎氏がブラウン管による電送・受像に初めて成功。高柳氏は日本ビクターへ入社、功績が認められ「テレビの父」と呼ばれるようになる。この高柳氏の功績により、現在のテレビに近いテレビがやっと登場することとなる。

このときまだ日本では放送が始まってはいない。

次回は日本でのテレビ放送から見ていこうと思う。